承天寺について
壽永三年創建
村指定文化財の鐘楼をはじめとして
歴史的価値のある建造物が数多く残っています。

承天寺の歴史
承天寺が創建されたのは、寺記によると平安時代末期の壽永三年(西暦1184年)とされています。この時代は、源氏と平家が争った治承・壽永の乱の時代であり、平家方では都落ちした後も、次の文治の元号を使用せず、この壽永をその滅亡まで引き続き使用したとされています。創建当時は、真言宗の寺院 長寿山上天寺として現在位置よりも山沿いの宮の脇に開かれたとされています。開基は、鎌倉幕府内の有力御家人であった畠山 重忠公(はたけやま しげただ)と伝えられています。 鎌倉時代となった建久四年(西暦1193年)に鎌倉往還(現在の国道138号線)建設の普請奉行として忍野に来た重忠公がこの寺を定宿としており、時の住職に帰依し、堂宇の整備に務め、仏像などを寄進したことに由来するとされています。現在、寺の本尊の薬師如来像、脇立日光大士十二神将はその当時のものと伝えられ、いずれも運慶作と伝えられています。その後火災に遭い、江戸時代に再建、その際臨済宗に改め山号を醫王山とし、寺名を承天寺としたと記録が残っています。また、醫王山の山号は、本尊の薬師如来の別名「大醫王」からと、かつて承天寺では富士山周辺の薬草を採取して村人に与えていたという説からという言伝えがあります。
概要
- 法人名
宗教法人 承天寺
- 寺院名称
醫王山 承天寺
- 宗派
臨済宗 妙心寺派
- 山号
大醫王山
- 本尊
薬師瑠璃光如来(大醫王)
- 創建年
寿永三年(1184年)
- 開基
畠山 重忠公
- 所在地
〒401-0512
山梨県南都留郡忍野村内野192 - 電話
0555-84-2356
- 札所
甲斐之國都留郡三十三観音 9番札所 (正徳年間創設)
甲斐百八霊場 31番札所
年間行事
3月
春彼岸
7月
夏祭り
8月
新盆供養
塔婆お焚き上げ
9月
秋彼岸
12月
除夜の鐘
建物・ギャラリー
建物・ギャラリー
忍野村の指定文化財に指定されている鐘楼をはじめ、
歴史的価値のある建造物が数多く残っています。

鐘楼村指定文化財:建造物

享和2年(西暦1802年)に建立された鐘楼は、古来の和様建築と鎌倉時代後期から禅宗寺院に採用された禅宗様(宋様式)の技法が融合された、均整のとれた姿が特長。この地方の代表的な名建築とされています。鐘楼は、方三間(5.45メートル)袴腰付き重層入母屋(いりもや)造りで、妻飾りは虹梁太瓶束(たいへいづか)式となっています。破風板にはひれ付きの懸魚(げぎょ、神に捧げる魚:火災を嫌って水に関係の深い魚形から出たと言われています)を下げています。
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薬師如来
詳しくは薬師瑠璃光如来といい,大医王とも呼ばれます。
阿弥陀如来は死後の来世の平穏を司る仏なのに対して、薬師如来は現世での苦しみを取り除き安泰を司る仏として扱われており、古くから信仰を受けてきました。如来になる前の修行時代に 12の本願を立て、その本願を全て果たして如来になられました。その本願とは、「衆生の病気を治して災難をしずめる」「衣食住を満たす」「苦しみから救う」などで、薬師如来の名の起源になっています。

脇立日光大士十二神将
十二神将は薬師如来を護る12の神将です。
各神将がそれぞれ7000名、総計84000名の眷属夜叉を率いており、84000という数は人間の持つ煩悩の数に対応していると言います。
また、十二神将は、薬師如来の12の大願に応じて十二支が配当され「昼夜の12の時」「12の月」「12の方角を守る」と言われています。
【12神の名前】
宮毘羅・伐折羅・迷企羅・安底羅・あんに羅・珊底羅・因達 (陀) 羅・波夷羅・摩虎羅・真達羅・招杜羅・毘羯羅

六地蔵
人は生前の行為の善悪によって、死後に六道の境涯を輪廻、転生すると言われています。六道にはそれぞれ衆生救済ために「檀陀(地獄道)」「宝珠(餓鬼道)」「宝印(畜生道)」「持地(修羅道)」「除蓋障(人間道)」「日光(天界道)」の6地蔵が配されていると言われます。
地獄道:最も苦しみの激しい世界
餓鬼道:飢えと渇きにより苦しむ世界
畜生道:動物や鳥、昆虫の世界
修羅道:闘争の絶えない世界
人間道:楽しみ、苦しみのある世界
天界道:六道の中では楽しみの多い世界

馬頭観音
観世音菩薩の化身で,六観音の一尊として数えられ、観音としては珍しい忿怒相を持ちます。
「人身で頭が馬」もしくは「馬の頭飾りを戴くもの」とがあり、「馬」は魔を下す力を象徴し,煩悩を断つ功徳があるとされています。
六道においては畜生道に配され、住類を救うとされていますが、一般には馬の無病息災の守り神として信仰されています。

















































